白シャツを恋い慕う

つれづれなるままに…おたく

罪とは何か?@真田TABU

 

6月13日ソワレ

 TABU@新国立劇場 小劇場

出演 真田佑馬、橋爪功大空祐飛

 

大分たってしまったけれど、書くと決めたからには頑張って感想を書きます。

 

 

 

 ※舞台の感想

原作をあえて読まずに拝見しました。

本を舞台化するのは非常に難しいのだと改めて思いました。

特にゼバスティアンの作り出した女性の顔が曖昧とはいえ最初の段階からビジュアルが出てしまっているから。その顔が映像として入ってくるから、多分あれは作り物で実在しないということが最初から際立っていた。

本を読むだけならならソフィア目線やビーグラー目線で疑ってみようっていうことが出来たのかもしれない。

ただ原作を読んでいると自分の解釈があってやっぱり違和感でるだろうから、ストレートで舞台を見るのが正解。っていうのはもう何回も他の作品でやって思うけどやっぱり自分にはあった観劇スタイルだなと思いました。

 

出演者さん全体に言えることですが、このぐらいの箱だと「舞台」って主張が強くなって何かを伝えねば!!みたいに使命感にかられた作品や押しつけがましい作品になりやすいと思うのです。でも主演の真田くんの雰囲気と演出家さんの狙いだと思うのですが、「本の世界」を再現した異空間を絵画を鑑賞するかのような感覚で自由に見ることが出来ました。しつこく押し付けてこないお芝居が「そのまま本から出てきたんだろうな」という感想につながりました。それに中身を深く考えようという方面で物語に入り込めたのが良かったです。

 

シーラッハさんがどう書いたかは知りませんが、ゼバスティアン・フォン・エッシュブルクという人物の芸術作品に携わることになったビーグラーの話。という印象を受けました。

ビーグラーの出会った一人の青年ゼバスティアンという描かれ方にまとめつつも、このストーリーの作者はゼバスティアンという片鱗もあるような感じ。

シーラッハさんのほかの作品を読んだ印象だと、主人公と語り部視点とが混在する作家さんなので、そこから舞台化するにあたり役割分担を明確にしたのかもしれません。

バスティアンの芸術家としての奇才っぷりが前提となっているわけですが、本当にそんなことをするのだろうか?という疑いの目もありながら(結構性に過激ですし)問いかけてくるセーニャフィンクスの存在や文字に色彩を見る感覚はとても受け入れやすくて(理解は別物)、そういった独特な感性部分は真田くんが演じてくれることで真実味を増したような部分なのでは?と思っています。

 

 私はこのストーリー自体がゼバスティアンの描いた作品の最終形態だと感じたのですが、彼は大体の布石を打って送り出してはいるけれど、結構リアルタイムでの理解や咀嚼、そしてその場での創造が含まれているように思いました。

自分の想定外の出来事やビーグラーの言葉を受けた創造も上手く流れにして作品にしていってしまうというか、全部を分かって行動しているわけではない人間らしさがすごくあったなと感じました。特定の作家から受けたインスピレーションを発信して、ビーグラーが一番自分の作品の受け取り手というか描き手として適任だと思っても、人間を通して描くということはビーグラーの読み違いやソフィアの読み違いが出てくる可能性もあるわけですから。

 

ただ、この作品概要部分はこんな感じにまとめてみたけれど、中身のパーツに込められたゼバスティアンの人間性の部分は1回ではなかなか紐解けなくて…。お父さんとのシーン(綺麗な鹿を射て夜父が自殺したのくだり)やセーニャフィンクスが目の前にあらわれるシーンがインパクトがありました。

セーニャフィンクスに対しての一般的な反応はソフィアが担ってくれてるからわかりやすいようなわかりにくいような。とりあえず電話の声は多分協力者である妹だろうけれど、傷に関してはゼバスティアンの意識下に置けていないゼバスティアンもといセーニャフィンクスの行動があるような感じがしました。ゼバスティアンに見えているセーニャフィンクスと実際に起こった出来事が違うのだから、そう捉えていますが…原作を読んでもわからなそうなするめポイントだなと思います。「真実と現実は違う」という言葉からして、意識下と無意識下が混在しているなこの人。とは感じました。

お父さんについては作りこみ方に圧倒された感が強くて色々考える前にそのシーンが終わってしまいました(苦笑)

受けた影響は死の概念や十字架で示す断罪的なものだけではなくて、自分に流れる血への嫌悪とか鹿の美しさと相反する感情だったり、一瞬に詰め込まれていて言葉にできるほど理解できなかったな。父という存在があんなに擬態表現されると思わなかった。

あと、本当に妹にあったからだけ(表面的にはそう見える)でソフィアをとおざけた訳じゃなく、自己認識から対等に接したくない思いとかお母さんの言うように妹に対して兄弟以上のものがあったはずで、それはソフィアに対する多分恋愛と違う、酷似したものから感じる親近感と嫌悪感の融合なのかな?とも感じました。

バスティアン自体がどうつくられているのか。は本当に色々表現されていて、とりあえず気になったところだけまとめてみました。

 

あ、想像ですけれどゼバスティアンって感性や感情というより理論で組み立てられたものを創造していくじゃないですか。そういう人間が見た目は落ち着いた女性だけれど、感情の豊かな女性を求めている。(逮捕に対する動揺も激しいし、見方が一面的になりがちな人)感情に少し欠落がありそうなゼバスティアンが自分と真逆なソフィアに無意識で惹かれて結び付けられているような気がしてこのカップル素敵だなと思いました。

 

とにかく原作本もなかなか図書館の順番待ちが長くて読めていないし、何より直後ではないので間違った部分や違う意味でメモをとらえている可能性も多そうですが、とりあえず頭と心を動かしてみる舞台でした。ただ、このままのペースだと読めるのは9月以降になりそうなので諦めてこのままの状態で公開しています(笑)

ちなみにシーラッハさんの「罪悪」「犯罪」は一応読みました。

 

 

※真田くんと祐飛さん

ぐだぐだ考察を書き起こしていましたが、見に行った理由は最強の二次元大空祐飛とアイドルでありながら最強の三次元真田佑馬が共演するから。なんですよ。基本好きが二乗になると大体行きます。

よく考えたらネガティブな引きずりタイプで、テレビ見ないで暗闇で台本のこと考えたり(ガムシャラ4月1日夜MCより)ギターかきならしてくしゃくしゃわんこになっているさなぴなのに、めちゃくちゃ真剣な一面見てきちゃった!!という感想が実は先に来ています。

足はむっちりのままだったけど(ゆひさんと比べてごめん)顔が真剣だった。別人だよ、真田くん。アイドルの顔も好きですが、俳優の顔もちゃんと見ていきたい一人になりました。

ゆうひさんのすばらしい肩幅と骨盤を見慣れてるはずなのに、真田くんはやっぱり当たり前に男の子だったな。こういうジャニーズさんらしからぬ体型良いよ。保っていこう!リアリティのある体格。これがアイドルなのに最強三次元と勝手に呼んでいる理由なんです。(めちゃくちゃ褒めてます)

真田くんを抱きしめるゆうひさんがすごくステキでね。20の差があるとは思えないし、恋人らしい描写もあんまりないのになんか対等で恋人らしくて良かった。真田くん×年上女性はかなりの正義だったので、これからもどうぞよろしくお願いします。

あと、真田くんが役に合わせて下手というか依存に見えないようにわざとしたとは考えにくいほど、喫煙シーンが不慣れすぎかなと。ゼバスティアンは依存か吸わないかどちらかっぽいのに、まさかの吸うのにかっこ付いてないという。

ゆうひさんが芝居でたばこ吸うのめちゃくちゃ上手いから学んだらいいのになー。勿論実際本人が吸うかは知らないけど、ゆうひさんのダンディな喫煙姿は本当に世界観作ってるから!となぜだかヅカオタ目線に戻って語っておく。

真田くん、白シャツごちそうさまでした。下も白ズボンで真っ白。儚さとかまるでない地に足がついた方の白シャツはこれはこれで味があっておいしいです(真顔)

 

 

※真田くんのイメージ変化

 

 

 みる前の俳優真田くんの印象。1789は今も思っているが、ヤスはTABUをみた後では思わないかなと。

 

 

 

という理由は自分でも書いていて、真田くんの真骨頂は意味のわからない断罪物だと思う。ヤスみたいな精神的な束縛は以外と似合わず、理論と計算に基づく束縛が似合うのが真田くんだと思いました。一般的な感受性の豊かなといわれるところを脱しているお話だったからそういう印象を受けたのかもしれません。

 

 

まあ、1789出演を望む理由がいくつか書いてありますが、下町のどぶを見て育った庶民感と革命していそうということ、ジャニーズJr.枠として出すならある程度のスキルがないと困るし、大我ルドルフがまあまあ成功している今、帝劇に出せるのは真田くんぐらいかなと。

ジャニーズJr.枠がなくなるなら、別に強行突破しろとは言わないのですがJr.から選ぶなら真田くんということで。

 

 

最後にこの前日に大我ルドルフ(@エリザベート)を拝見していて、一つだけ共通してジャニーズさん特有の動きだな、外部に出ると気になるなと思ったのが、器用に何でも覚えていくジャニーズさんだからこそ感情よりも動きの段取りが見える瞬間があるなと感じました。(下手だから見えちゃう若い役者さんにあるそれとは何だか違う)上手い下手じゃなくジャニーズJr.の動きだなと思いました。

バックとしての経験が長いからかもしれないし、限られた中動きを覚えるのを最優先にしているからかもですが、一つの役を極めていくような時間や機会が与えられれば解消していくのかな…。なんて思いました。

力説されて個人的にも気になってる「稽古時間が短いけど、出来るでしょ!」の弊害かもな…