白シャツを恋い慕う

つれづれなるままに…おたく

星逢一夜/La Esmeraldaのだらだら雑記

9月27日マチネ。
雪組 星逢一夜/La Esmeralda。
観劇予定日まで待ちきれずに当日券にならんだ。ひとまず初見の感想をだらっと書き残してみる。
早霧咲妃コンビ初生観劇でした。(とりあえず他もDVDはみた)

今回の雪組は従来の宝塚あるある「ショーのために通い、芝居は消化試合」とは逆で「芝居のために通い、ショーは消化試合」といった印象。とにかく芝居が面白かった。上田久美子先生の初大劇場作品は秀作だと思う。ショーは焼き直し感が気になったけれど、終盤の白燕尾一連はとてもよかった。

とにかくネタバレを気にせず書きたくて、わざわざ書いたので思いっきりネタバレをします!
まだ見ていない方はご注意ください。



星逢一夜
星逢の夜に出会った3人の子供のすれ違う運命。といったところなのだが、幼少期をトップ自ら演じていたり、大人になってからのシーンはとばしとばしながらも星逢の日だけはきちんと描かれる。結末が幼少期に戻り「演者が笑い客席が泣く」パターンのやつで、全くハッピーエンドじゃないのにもかかわらずぐっとくる何かがある。

まず死んだ人が自分の予想と違った。
基本宝塚のおける三角関係(四角関係)、この手の話は大体メイン3人のだれかが死ぬ。
予想は早霧さんの死。
終止符を打つための自決(これ、次回作だけど)
もしくは
咲妃さんの死
全てを背負っての死。(月雲と被るなと思いながら)

話が進むにつれて望海さんの死の色が濃くなるが、早霧さんも死ぬのではないかと結構最後まで疑った。生きているのに会えないなんて、死んだに等しい結末だったけれど死なない意味はとてもよくわかる。

この手の作品のテンプレとされる柴田作品によく見られるのは結末で死ぬ。コルドバやら形は違えどバレンシアやらとにかく死ぬことで終わるし、基本的に死が幕切れに使われる。
植田先生の「ベルサイユのばら」もアントワネットが断頭台に行くかオスカルアンドレが革命で次々と死んで幕が下りる。
でも、今回は「死は逃げ場ではない」byトートといった感じで望海さんの死をもっても幕はおりず、早霧さん&咲妃さんが小太刀を持ってのやり取りをする。いっそのこと自害し果てたら二人とも楽なのにと思うぐらいに、想いあう二人の結末は「別の場所で星をみる」ことだった。星逢のあの場で2人が自害する結末も想像できるが、あえて「生きる」ところがテンプレ通りにいかないこの作品の好きなところだ。

もう一つ、所謂宝塚的三角関係のテンプレートでは、源太と泉が結婚を予定していたのに、再び晴興が出てきたら大体源太ポジションは怒って泉を巡って速攻バトル(決闘)する(笑)
でも、祭で再会してしまった時源太はそれをしなかった。
「こいつを幸せにしてやりてぇ」
その場を見てしまったのに見ない振りも怒りもしない受け入れている源太がいた。晴興に下げた頭がカッコよかった。
この台詞で嗚咽が漏れそうになった。
そして続けるように「ずっと泉は晴興をみてきたから。」(ニュアンス)という台詞もある。
源太の描かれ方が号泣ポイントであり、従来の作品にあまり見られない優しい男性像だ。

一方の晴興も色恋だけに没頭する人でないのが、少し新しい。宝塚テンプレートでは職業や役割は名ばかりでお互いの色恋に重きを置きがちだが、晴興は老中の立場になるまで描かれる。
祭で別れた後、セットが変わって別人のように都言葉で仕事をする姿にもう変わってしまったのだと泣けるし、城での芝居も年を重ねて重々しくなる。
「晴興は変わってしまったのだ」と思わせておいて、源太を斬って一揆を終わらせて、自分の代わりに民を助けて島流しにあう。晴興は結局変わらない。非常にずるい人だ。
島流しにあう前日泉に「一緒にくるか」と言う。泉も源太を殺されて憎いはずが持ってきた小太刀で刺すことも、自害も出来ず。「これは泉が頷けばまた別の話になるのではないか?」という所に泉と源太の子供たちが泉を探しに出てくる。
泉は子供を捨てられないし、この流れでは捨ててでも晴興を選ぶ人は魅力的にはうつらないだろう。
晴興に取り残される形で多分一生の別れになる。冗談めかして言う晴興もとてもかっこいいし、なんとなく言葉選びが現代的なエッセンスがあるように思う。従来の作品だったらなかったことにはならないだろうなとぼーっと思う。

結末は「みんな一人ぼっち」
宝塚の作品は娘役が一人だけ(他に味方もなく)取り残されるのはレアケースだと思う。
咲妃さんの芝居は一人で舞台にたてる娘役の芝居なのでこちらも違和感なく受け入れたが、この結末は役者を選ぶと思う。
子供たちしか味方もなく、夫が死に想い人がいなくなってヒロインの嘆きではなく(勿論宝塚では無理があるが)、過去への想いにシフトしたのが上手くて幕切れに相応しいじんとした物が心に残った。
明るい子供たちを見てふっと現実に戻されるので、二回目に見る時はきっと冒頭から泣きまくると思う。


個人的に好きだったのは源太。
あのなんとも言えぬ晴興との別れ。ここから晴興が憎く感じるぐらい源太の虜になった。
「江戸へ」といって晴興と泉とはぷっつり別れる。源太と晴興の関係も深くは追及されない。
小さいころから泉を思い続け、結婚する。結婚したての頃は分からないが子供が出てきたり、源太の足を洗ってやる泉のシーンは少なくともあまり夫婦関係に表立った問題はないように見える。
でも、泉の中の晴興はまったく色褪せない。
だからこその一揆、源太は泉の中の晴興と晴興自体と最後まで向き合い戦っていた。
この人にまっすぐな矢印が向けられることはない。孤独で真面目で少々地味で(若干役者自体の印象でもある)不器用な源太がステキだった。
一揆直前の再会のシーンでは外に出て子供を見ていろと泉に命じたのを泉が破って晴興と話しているのを見てしまっても、子供を見ていろと言ったことは咎めるがと晴興関連の事は口にせず見ている。
一揆のことも泉に直前まで知らせない。母への配慮もあるだろうが、泉が晴興のことを考える割合が増えるのが苦痛だったのかなとも思う。
不器用に桔梗の花言葉「変わらぬ愛」「誠実」な姿を体現していたなあと思った。

そういえば、あの星逢の櫓も時と共に古くなっていったのですが、最後の時(仮想空間)は元に戻っているように感じたんだけれど、そのままだったかな?次回確かめたいと思います。

とにかく次の観劇が楽しみになるような書き込まれた作品だった。久々にいい芝居を観たなあ。


La Esmeralda
こちらは斉藤先生の作品。
動物4人娘がいなくなったのもびっくりだが、過去のシーンの焼き直しが多かったかなあと感じた。
早霧VS彩風の所は少し物足りなかったし、月城軍服からの一連は水彩吹の追手のシーンを思い出させ、望海さんが例の紫吹蛇の衣装で蛇ときたので「リオデブラボー」「BLUEMOONBLUE」の見すぎ人間には物足りなかったのかなあと思っている。
最近忙しいからネタ切れなのかな?(笑)
レーサーの後の望海さんの歌と最初の衣装に戻ってからの総踊り、白燕尾一連は良かった。

早霧さんは元々好きな方だし、望海さんも好きなので目が行きがちだから感じるのか、咲妃さんの存在感の無さがすごく気になる。
踊れるトップコンビを見てきたからか、デュエダンの無い今回は物足りなさが募る。
作品と上手く相いれてないのか、まだどういうスターなのか見えない。というか芝居ではあれだけの存在感と透明感なのに、ショーになったらいないのでは?というぐらいの感じは勿体ない。
ああいう娘こそクラシカルなピンク(or白)衣装で娘役影コーラスをつけたクラシカルなデュエダンをやらせてあげてほしいなぁ。
今のイメージは桜乃から毒を抜いた感じ。といったところで芝居での女性らしさがショーで出てくれば面白いだろうなあと思った。
番手が望海→彩風≒彩凪→月城、別格鳳翔、蓮城、香綾という感じにスターがぎゅっとつまった感じになっている今が良いショー作品の作りどころだと思っているので、早霧さんの代名詞となるようなショーが早く見たい。
それが稲葉先生なのか藤井先生なのか中村Aなのか分からないけれど、楽しみに待ってます。

スターさん的にいうと別格組に銀橋一人渡りとか~の男BまでじゃなくCとかちゃんとつけてくれる斉藤先生嫌いじゃないです。階段下りが豪華で見ていて楽しかった。
あと退団者への配慮もとてもよかった。透水さんと彩凪さんの同期での銀橋は一番うるっときそうだった。王道な感じのシーンだったのも二人(特に透水さんの)雰囲気に合わせてのことだと思うので流石!と思いました。
ただ、何度も言ってますが三組デュエダンを途中に持ってきて、最後はデュエダンでしめてほしかったけどね!とぷコンビ売りしている組だと思うし離して構成する必要性はないかなと思った。

早霧さんはとにかくいきいきしているし、望海さんは何をしてもパーフェクト。それでいて男役の方向性が全然違う深まり方なので双方のファンも相乗効果で楽しいんじゃないかな?と。あ、望海さん大劇場正2番手、大羽根おめでとうございます。いやー朝夏さん就任に続き、大感動。というか「トップになって欲しい」という言葉が現実感を増して使えるようになったことに感動です。このまま順調にいってくれたら、来るべき日が来たら客席で勝手に大号泣します(笑)


まだまだ公演もありますし、私も見に行きますので千秋楽まで頑張ってください。
歌の透水、此花が一気にいなくなり聞きなじみのある影コーラス(2007年ごろから影コは二択だった)がなくなるのは大変寂しいですが、あと一回しっかり聞いてきたいと思います。