ルキーニは何者なのか@エリザベート23日
7月23日 花總 井上 田代 京本 剣 山崎 大内
エリザベートも折り返し地点。そろそろmy楽も見えてきました。
友人と観劇して全く違う視点で話していたら、色々気がつくことが多くて楽しい。ただ、今回のエリザベートはW違う評価があまりに多いから長い付き合いの友人との観劇で良かった。お互い好き嫌いポイント分かってるし。嫌いも好きも被らず、お互いの好きが嫌いには絶対ならないという不思議な関係(笑)
この回をざっくりと表すと花總さんと井上さんが少々お疲れ気味、万里生くんは今までで一番低音が聞こえるので調子が良いらしい、育三郎くんは多少疲れはあれど役の深まりをみせていて、京本くんに関しては誰だ!?別人?という変化を見せて、剣さんの芝居の安定感に流石という印象でした。
京本くんに関しては、終演後開口一番に「え、ルドルフの子、私初見じゃないよね?」という友人の迷言(あなたも私も京本ルドルフ3回目!)が飛び出すぐらい変化していたので別記事に。
全体を振り返ると育ルキーニの変化がすごく印象的でした。
前提として私はメインの3役のどなたの個人ファンでもなくて、流れに任せて目をひいた人をみているんです。役だとフランツというか「田代さんのつくるフランツ」は好きなんですが、これも幕開けてから気が付いた話ですし、蘭ちゃんは多少は贔屓目かなとは思う時はあるけど今回は出ていない回なので関係なくて、大体客観的な主観でお送りしてます。
メインファンの人は感じない(友人がそうでした、あんまりよそを見てないほどトートに夢中)か邪魔に思う可能性もあるなーと思ったのがこの育三郎ルキーニ。
ルキーニはストーリーテラーだし、エリザベートのストーリーの邪魔にならないように伝えてくれたら。なんて思っていた6月末の感想
エリザベート前半戦 フランツに愛をこめて - 白シャツを恋い慕う
とは打って変わって、ストーリーテラー(傍観者)にとどまらない役作りをしてたなと。ミュージカルエリザベートはあくまで「エリザベート」の話をルキーニが語っていく。という筋書きだと思うのですが、ルキーニの世界の「エリザベート」を語っていく。というアプローチでした。ルキーニがあまりに独り立ちしすぎて、びっくり。
前回(10日)に見た際は少し変わってきてはいるけれど、エリザベートの世界にかなり近いところで語るルキーニだったのが、今回ではパワーバランスが逆転。
良かった点はとにかくルキーニの感情が分かる。この人も生き抜いて誰よりも近くでこの物語を見て、誰よりも悲痛にエリザベートを批判してあがいていたのか伝わる。この人が語る意味訴える意味を感じ、同時にルキーニの苦しみがとてつもなく耐えがたいことなのがはっとわかりました。ラストの幸せ(でよいのよね?)もすごく印象的。
エリザベートに対しても嫌いを通り越してなのかトートに近づきすぎなのかこのルキーニはものすごく好きでしょ?エリザベート。好きだから呼び起こして会いにいってるかのような。そんな印象。
「キッチュ」(リプライズ)で言葉一つ一つの重みが伝わってきたし、気が付いたらぼろ泣きしていて自分でもびっくりしました。最後にシシィの死とトートを最後まで見ながら死んでいくのも良いですし。ルキーニって本当は奥深いのか…色んなアプローチの可能性を秘めた役だったことに今更ながら気付く…
どうなんだろうと思っている点が、本当に傍観者を逸脱していいのか?ということ。進行の過程でパワーバランスを意図的に崩して真ん中を食う構造の役作りはありなのかな?真ん中が弱い強い関係なしに、役割として違うような感じを受けるシーンもある。
というのも数回みた感じ、力量的には正確に歌えたり、短いアドリブで済むところも「育三郎ルキーニ」のアレンジと時間に割かれないと(特に1幕)、2幕後半の勢いにのれないみたいなんですね。(多分)
この役を確立させるために舞台の中で自分の時間を捻出してないかな?っていう疑問がちょっと残る。
でも総合させたら「育三郎くんはお兄さんたちといるけど、まだ若いんだよ」という友人の謎の立場からのフォロー(笑)で私の中ではすっきりしていて、この役の方向性で完璧に仕上げた人はいないからぜひ続けてほしいし、演出以上の役の時間を使わずに成立するにはちょっと待ってればいいのか。と思いました。普通に歌えてるし、一定水準を保ったままチャレンジしているんだから立ち止まって考え込まない限りは特に問題ないもんなあ(多分)
続投したり年齢重ねたりしていくうちに、アプローチは同じ方向性のまま洗練されて、ほかの役の邪魔や干渉をすることなく凌駕して成立していくような新しいルキーニになれるよな。とも思ったのでイケコ、育三郎くんの続投お願いします!
決してタイプの方ではないのに、この人のルキーニはまだまだみたいなと思った。褒めてるのかけなしてるのかちょっと分からないような書き方になってしまったけど、育三郎ルキーニは好きです。
ていうかmy楽なのが信じられない(笑)千秋楽まですごいスピードで変わり続けるだろうな…まだ見たい。
他のキャストの方をざっくりと。
歌はすっごい聞いてるし声がもともと好きなんだけど、圧倒的に芳雄くんの場面としての記憶(表情のアップ)が少ない。「最後のダンス」「ママ何処なの」「愛のテーマ」とか本当に人が少ないときにしか見てないのかもしれない。
けれど、幕はおりる直前の一人立っている姿が寂しいというか。あんなに貪欲に存在してたのに、最後に孤独感だけが佇んでいて思わず綺麗だなと。
でもトートの行く場がないような気がして、そんなこと今まで微塵も思わなかったのに、どこまでも孤独な芳雄トートの行く先のなさに勝手に苦しくなった。
エリザベートと共に解き放たれて観劇を終えるのに、ふっと見たらなんとも言えない表情に目がいって悲しみの感じでエリザベートが終演してしまった…じわじわと来る芳雄トートの波。
花總さんはこれをイケコが描きたかったんだな。ってそれだけは本当に毎回思う。
ただ伝説すぎて恐れ多くも拝見させていただきます。という目線が消えない(笑)
だから、今回は素晴らしいものは素晴らしいし、泣けるものは理由なんて分かる前に泣くし。というフラットな感じで構えたら、伝説の方もお疲れになるし、涙が出ない私だけにもあるんだよな。と少しだけ楽にみれました。
それでも鏡の間の振り返りで鳥肌がたったし、ルドルフどこなので泣いた。
ルドルフの死の意味があるというか、死んで終わりにしないで、流れをくんでるのがすごい。
花總さんのエリザベートはやっぱり並べたらいけないよ。
万里生フランツはまだまだ見逃している表現が一杯出てきて、お芝居が面白いです。
これは演出で計算されていることだと思いますが、夜のボート。
上手席からシシィをみると鏡にうつったフランツが一緒に目に入る。もう別の道が出来ているのに、更に万里生フランツが前に進むほど鏡の中ではシシィの逆に動いていく。二つの道と真逆にすれ違う姿に感動。
鏡の演出効果はこんな端でも体感出来るのか。
育ルキーニのキッチュ(リプライズ)からのこれは涙が枯れるよ!!
悪夢の冒頭のルキーニVSフランツの芝居もどんどん過激になっていて、目が足りない。そこからのフランツVSトート。
訴えの悲痛さからルキーニ、フランツの台下組ばっかりみています。彼らは余裕がまるでない。壊れるんじゃないかというぐらいの限界点にいるのが堪らないです。
お見合いで、ゾフィ「ひどいドレス変なヘアー」辺りで下台上にロックオン。
走り込んできて銃を構える陛下の姿を見ているのが唯一のミーハーポイントかもしれない。
「幸せになりましょう~♪」以降の花總さんとのお芝居は今回の方が細かくて、良かった。
目の使い方や涙をぬぐってあげたりの仕草が好きでした。本当に愛し合って結婚したのが分かるのが万里生フランツの良さかな。勝手に惚れただけでなく、シシィも愛を返せるような芝居をしているように思います。
剣ゾフィはほぼ毎回あの芝居を既視感を感じさせずによく演じれる方だなと。常に一定の水準なのに、新鮮味すらある。ゾフィ気にせずにチケットとったらほとんど剣さんだったので、毎回ちゃんと見ています。
歌がめちゃくちゃ上手いとは思わないけれど、聞きすぎて剣さんの声でエリザベートの台詞が再生出来るから、多分硬い声質も好みなんだと思いました。
なんだか、ルキーニは色々考えてるけど、ただただフランツにあまい感想(笑)
でも他の役をほとんど見てないから田代さん自体が好きなのか、この役の田代さんが好きなのか分かりかねるけれど。ずっと一番嫌いだったフランツ(役者さんじゃなくてこの役の存在)が好きになることもあるので、本当にお芝居はわからないな。
ルドルフ以外は一先ずという感じで、書き残してみました。
あくまでも主観ですので、さらっと流していただければ。