白シャツを恋い慕う

つれづれなるままに…おたく

闇のないルドルフ

京本くんに関しては、終演後開口一番に「え、ルドルフの子、私初見じゃないよね?」という友人の迷言(あなたも私も京本ルドルフ3回目!)が飛び出すぐらい変化していたので別記事に。

と前回書いたので、別記事にしてみました。
京本くんのことと友人の感想(ジャニオタ誕生シリーズ)も交えながら書いてみようと思います。
兼オタの謎の目線を発揮していますが、一段落はついたので公開してみます。


※京本くんと京本ルドルフが好きな人の感想

京本くん自体としては一応私もジャニオタの端くれなので、JJちびっこチームとか京本植草とか京本ラインとかなんとなく小さいころから見ているつもりです。一番好きとかではないけれど、常に目をひく子というか綺麗な子だなという認識。ここ最近はガムシャラを拝見しました。美形かつ声が綺麗なのが本当に良いですよね。ただ全体的に線が細いのだけが心配でした。


そんな感じで贔屓目のつもりでもプレビュー後は「及第点」という印象で、プラスの戦力になれるほど存在が大きくなかった。と、同時に何をどうとは言えないけど、彼ならもうちょっとやれたのでは?という気持ちがあって「結構好み」という友人たちの感想と相反して消化しきれずにいました。
それが2回目にはお、なかなか健闘。今回に至っては本当に大我くんなの?という所まできたので、彼の成長に驚きました。

今は声が細い印象は消えてきています。千秋楽までこの感じで伸びるならこれはなくなるだろうな。
イケコのトレーニングはヅカでいうと柚希さんとかで痛感しているのですが、本当にすごいな。
一本をきっかけに彼らはがらりと変わるんですね。あのタイプ。
良い環境と機会を得たね、大我くん。アイドルとしても好きですがジャニーズのもろもろで、ミュージカルに出られる素敵な才能がつぶれないことを祈るばかりです。(兼オタの謎の立場)


今回一緒に行った友人に至っては「結構好み」が「かなり好みなんだけど、本当に京本くん?」という感想の変化。
一押しする理由を聞いたら「こんなにママという言葉に違和感のないルドルフはない」と「それでちゃんと歌えるようになってるし!」とのこと。
7月頭に京本ルドルフを見たときは、外見は好みだけど、ベスト闇広ではないなとに思ったそうで、こんな良い闇広の組み合わせあるなら先に教えてよ!と(笑)
でも私は「闇広」の歌は芳雄くん×京本くんだと思うと何度も言っているので、7月前半ではまだヒットしなかったみたいです。
というか相対音感は多分あるけれど鈍ってきた&歌を重視しない私に聞かないでくれという話はあるのだけれど(苦笑)、ルドルフ研究に余念がないことを彼女が一番知っている。

まあそんな経緯もありながら、二人して今回京本くん良いと言い出したということは、彼のクオリティが別人のように上がったからだと思うのです。声の出し方も違うように思うし、声量が増して、芝居も変わっている。
明確なプラン変更(父上の言い方やはいつくばるような音)がいつ起こったのかは毎回行っているわけでも、京本くんでもないので知る由もないのですが、気になる。とりあえず若いって本当にすごい。

見終わってから京本ルドルフが楽であったことに気が付き、彼女は非常に悔しがっていました。
京本くんの次の舞台「少年たち」@日生劇場9月。は気になる→行きたいに変わったというので、ご縁があるといいな(笑)
地味にTwitterでつけてきたジャニオタ誕生記録の延長を少しだけ書いておきました。また折をみて、続きを書いてみようと思います。



※京本ルドルフの流れ

ベースは美形と金髪と軍服と。 - 白シャツを恋い慕うに書いたものは残っている。
でもだいぶ肉付けして深くなっているし、ざっくりいうと歌唱力と表現力の成長で別人のように見える。

出てきた時のまだ少年の背が伸びただけのようなあどけなさを残しているのは変わらないのですが、ただの弱い少年ではなく、少々凛とした佇まいが加わったように思います。分かりやすく言うなら、年齢が上がった。少なくとも20は超えた感じがしました。

一番の特徴が「闇がない」
古川ルドルフの良さが「最初から死を意識している(初めから闇を抱えている)」だとしたら、京本ルドルフの良さは「闇がない」
役者の年齢と見かけに合わせて、最大限生かしたら真逆になったんでしょうけれど、どっちもエリザベートにおけるルドルフとしては成立している。

話をもとに戻すと、HASSでドイツ民族主義が展開されることで、それを自分の主義だと思って突き進んでしまったのだろうなと。若さゆえの猪突猛進さというか、計画的なところが全然ない。ハーケンクロイツをひいてしまった時の怯え、リアルにルドルフの鼓動を感じる気がします。人間っぽいというか。この先を諦めずに、自分を持って生きている時間が長いのかな?と思います。

「闇が広がる」芳雄トートの高音につぶされない低音をちゃんとものにしていたし、本来の持ち味の高音に声量がのって気持ちよく聞こえる。やっぱり声が重みをもったように思います。歌に振り回されていないというか、この歌い方に慣れてきたという感じ。まだのびしろは感じる。
ここで闇が生じて、広がっていくのがわかる辺りのイメージは変わらず。
個人的には次の革命シーンの「ハプスブルクの崩壊防ぐため、独立運動を」「必要があるーのだ」のトーンがとても好きです。
京本ルドルフは本当に変えられると信じて進んでいて、これもまた好き。

ハンガリー国王」という言い方と表情にもまっすぐな希望がみえるというか、信じているんですよね。
そこから仲間を打たれて、一つ一つに心を痛めていく姿にもいとおしささえ感じる。
「ハプ…ハプス…ブル…ク」という感じの震えた言い方と一気にマックスになる絶望感。自分の過ちに気づいた時のせつなさが悲しい。
以前はこのくだりでじわっと広がるような印象の京本ルドルフの闇でしたが、ここに焦点を絞ってきた感じがする。分かりやすい。

その後のフランツとの芝居が温度が全然違って、「もう何も言うな」ってフランツの声がきーんと響くのですがその時の反応が、今起きていることを受け入れられない。信じたくはない。っていうすごい挫折感。
フランツが完全に去ってからの弱弱しい「父上…」
諦めとか後悔とか自分を責めるような感じによく作りこんだなと思いました。憎み訴え叫んできた「父上ー!」は色々聞いてきたけど、この一言は本当にすごかった。一番えぐられた感じがした。

「僕はママの鏡だから」は当人比迷子から少し抜け出してきていると思います。
花總シシィの血という感じはやっぱりしなかったけれど別に一本通ったものがあったので、気にならずにみれた。

父親や母親に対する気持ちの動きを、出来るだけストレートに伝えていきたいと思っています。
(中略)
そして最後の訴えとなる「僕はママの鏡だから」の終わりの方で、ルドルフの印象が決まると思っているので、入り込んで演じたいですね。募り募っていくルドルフの思いが、あのシーンでしっかりと見えるよう大切にしたいですね。本番ではルドルフになり切って、あっという間に出番が終わってしまったと思えるくらいになっていたいです。自分自身を俯瞰で見ているようなところがあるので、入り込める感覚に憧れがあります。もしそういう感覚になれたら、嬉しいですね。(ムック本より)

ということなので、この成長っぷりなら千秋楽までにこの曲をもっと色濃く正確に歌ってくるのではないかな?と思いました。
あと、表現がミュージカルっぽくないと言ったらおかしいけれど京本くんにある感覚の「ストレート」で勝負しているからこそ、観客の目に新しさを残しているのかなとは思い、引用させていただきました。
「このミュージカルは再演を重ねて、古典化してきている」と芳雄くんの雑誌のインタビューで拝見したのですが、その古典化してきた中に平成生まれっぽい感覚というか(現代人って言おうとしたけれど他にも若い人はいた)ミュージカル界で育ってこなかった人の感覚が表れているのだな感じました。

「マイヤーリンク」
踊りも上達したというか段取りだけではなく少し心が乗って踊れるようになったのでは?と感じました。
膝はまだ気にはなるんだけれど、普段のジャニーズ姿では気にならなかったのでブーツだからかな?
何の音もしない静寂に這う音が死を渇望していてとてもよかった。あの生々しい音の表現を聞くことに価値があるように思えた。
彼が最後に死を自ら求めるしかなかったという感じがしてキスまでの流れがすごく濃厚。キス自体も多分物理的に長くもなっていたのだけれど、空間が止まっているかのような数秒間だった。
トートが離れていくときにふっと幸せそうで最初に見たよりも純粋な少年の顔に戻っていって、引き金を引いていた。
この世に幸せが一瞬でもあったルドルフの姿は私の中では新しいものとして刻まれたような気がしています。
シシィがキスを受け入れるあの笑顔(前から明確に死ぬまでの辺り)と同じような感じがして、このルドルフはここをリンクさせてくるのか…。とも思った。


※色んな見方

「新しさ」という視点でくくると、闇を持って必死な姿(@朝海ルドルフ等)が当たり前だと思っていたのに、実は芝居中に闇に落ちていけば最初は闇のない姿でもありなのかというのが新しいなと思いました。
「最初から必死になってるとこっちが辛い」という見方も友人に聞いたり、「ママ」の鏡だから。というよりかはどこかまだ精神的に幼くて本当に「ママ」が必要なんではないか?と思わせる感覚も確かに新しい大我ルドルフ。
あと、自分の入り込み方というか見る目線も2人のルドルフで大分違う。大我ルドルフは自分の従来の目線ではないような気がする。何故だか大我ルドルフは一緒に生きているような感覚がする。


あと、大我ルドルフは「エリザベート」のルドルフではあるが、「うたかたの恋」のルドルフではなく、古川ルドルフは「エリザベート」のルドルフでもあるけれど「うたかたの恋」のルドルフのような、メインに出来るルドルフである。というのがずっと考え続けた答えになりそうです。同じルドルフという人物ですが、求められるものが違うので別物と仮定するのが良いと思います。
あくまで現時点なので、数年後大我くん、今週の月曜日旅に出たいです!と言っていたらごめんなさい。
(「マリー今週の月曜日旅に出よう」という宝塚のうたかたの恋のルドルフの台詞より)

冒頭に書いたように、今の自分の年齢と外見に相応しい作り込みを各自したんだなと思いますし、どちらも「エリザベート」のルドルフの役割はきっちりはたしてくれています。
年齢に相応しい役作りによって別物を提供してくれてありがたいです。どっちも抵抗なく楽しめて有難い限り。


踊り。これは好みもあるとは思いますが、バレエが入っているのが分かるのでこれは古川くんー!ってなってしまうジャニオタです。
革命のところは踊りのラストの下手で後ろを向いているときのターン数が違う。
マイヤーリンクは下手からのシェネ3回が古川くんはグランジュテ。と教えていただいた違いを確認できました。
ターンとジャンプで何で分けたのかすごい振り付けの先生に聞いてみたい衝動に駆られています。
本人たちの得意分野なのか振りに意味があるのか。普通に前者だと思うけど、結果的にそれぞれのルドルフのイメージにはあっている気がするので良いや。





結論ルドルフはベストキャストが選べない。自分の見たい時に見たい方をみたい(笑)
ジャニオタ点を差っ引いたら古川くんのような…でもジャニオタは変わらないのでやはりイーブンな気がする。
書きながら色々比較している部分もあったのですが、やっぱり「別物」ととらえるのが正解だなとしっくりきた感じです。
というか見事に2人のシシィの血を分けている感じがしたので、シシィに合わせて選びたいかなという、なんとも消去法な選択をしたいと思っています。でもラストスパートの今の手持ちと当日券狙いが見事に真逆(笑)(花總さん大我くん、蘭乃さん古川くん)

というか役者さんとして二人とも興味があるので、ちょいちょい別な分野での活動も見ていこうと思います。
でも、またイケコに出演して下さい!イケコは必ず見るから。




最後に本当にどーしようもない事いうと、記憶の中の幼い大我くんの天使の歌声の「ママ何処なの」@子ルドが見てみたかった。